「北海道の屋根を越える旧狩勝線と近代化遺産」
「北海道の東と西を結びたい」北海道の拓殖を進めるためには交通路の確保が急務でした。
港と内陸を結ぶだけではなく、北海道の背骨として東西を結ぶ幹線鉄道(十勝線・釧路線。後の根室本線)の建設が明治30年代にはじまります。
明治34(1901)年。旭川を起点として北海道の東西を結ぶことを目的として工事が進められていた「官設鉄道十勝線」は、現在の南富良野町落合まで開通します。
同年7月。海抜644mの狩勝峠直下の狩勝隧道(ずいどう)954mの工事が始まります。
工事は、固い岩質と予想を超えた湧水にはばまれ開通までに3年半かかり、明治38(1905)年1月に完成しました。
また、明治35年(1902)には延長124mの新内隧道も完成しています。
その他にも高さ80mを越える大築堤やアーチ橋などが建設されました。
1000m進むと25m上る急勾配の連続と最小180mの急カーブが続くなど、文字通り北海道の屋根を越える厳しい峠越えの路線でした。
新得−落合間は狩勝峠を越えることから「狩勝線」とも呼ばれました。
難工事の末、明治40(1907)年9月に新得−落合間が開通「官設鉄道十勝線」が開業し、
北海道の東西を結ぶ鉄道輸送がはじまり、北海道東部の拓殖がより一層進むこととなりました。
また、鉄道の開通によって新得の街は交通の要衝として発展しました。
しかし、この区間は日本国内の鉄道路線の中でも自然条件と運転の条件が厳しかったため、昭和41(1966)年,現在の新線に切り替わりその使命を終えました。
その後は「狩勝実験線」として,日本の鉄道技術向上に貢献し、瀬戸大橋の設計にまで影響を与えた実験などが行なわれました。

  SL広場

狩勝ポッポの道起点
新得駅から約1Km進むと、国道38号線とぶつかります。新得山スキー場があり、
旧狩勝線を利用して整備された、狩勝ポッポの道の起点になります。
D51が生態保存され、駐車場もあります。

土木学会選奨土木遺産
2003年認定 
旧狩勝峠鉄道施設群
―大築堤群
―新内隧道
―小笹川橋梁
2009年選定
狩勝信号場跡

2009年経済産業省 地域活性化に役立つ近代化産業遺産に認定
 旧国鉄根室線・旧狩勝線

  新内第3号橋梁(煉瓦橋台の鉄橋)

ペンケシントク川橋梁
ペンケシントク川を渡る煉瓦造の橋台のガーダ鉄橋です。
ガーダは補強材の形状から達540号式(大正8年)以降の製作と思われます。対岸の橋台はコンクリート製になっています。
また,切石が積まれた擁壁は谷積みで積まれています。川の浸食を防ぐために鋼矢板で守られています。
隣には新線のコンクリート橋が見えます。

  無線鉄塔

北新得付近
1966年廃線になった後、新内ー新得間は狩勝実験線として活用されました。
1967年から2年間は当時多発していた貨車の脱線事故の研究のための脱線実験を、
1969年には競合脱線解明実験を、1970年には電気機関車の走行試験を行いました。
1973年には車両火災実験、1976年にはボギー貨車脱線試験を行い、
1979年競合脱線の原因究明と防止対策確立のために最後の実験が行われました。
データ送信のための無線鉄塔がいまでも残っています。

  新内第2号橋梁(煉瓦アーチ橋)

新内第2号橋梁(小笹川橋梁)
下新内川を渡る高さ約7m,アーチ径4.6mの煉瓦造のアーチ橋です。
水面からアーチ基部までは高さ約2.6m,奥行きは約9mのものです。
小笹川橋梁の付近から狩勝峠に向かう1000分の25の急勾配がはじまり,高さ7mのほどの築堤が続いています。
また,切石が積まれた擁壁も現存しており,建設当時の原形が非常に良く維持されています。
アーチ部分は6層になっています。

2003.11.18 に土木学会選奨土木遺産に選ばれています。

  新内第1号橋梁(煉瓦橋台の鉄橋)

急行まりも号事件現場
迷宮入りとなった昭和28年5月17日のマリモ号脱線事故の現場となった中薪内川にかかる鉄橋。
橋台がレンガ造の下薪内川にかかる鉄橋。

  新内駅周辺

旧新内に静態保存された
9600型SL(59672号)と20系客車3輌
石組み造りのホームには,「9600型SL(59672)」(1922年川崎造船所製造)に引っ張られるようにして、
3両の客車が保存されています。
1両目がB寝台(1965年日本車両ナハネ20 132)
2両目はA寝台(1958年日立製作所ナロネ21551)
3両目は個室付きA寝台(1960年日立製作所ナロネ22 153)。
ルーメットと呼ばれた一人用個室付きの3両目は保存者としては全国唯一の貴重なもの。
レンガ造りの官舎もウエスタンビレッジとして今も現役として活躍しています。

  旧官舎(旧新内駅付近)

ホームから見た旧官舎
戦後建てられた4戸1棟のレンガ造りの建物です。
日本では珍しいアメリカ積みのレンガの積み方です。
ただ、現在は乗馬場のクラブハウスとして使われているので、用事のない人は近寄らないでください。

  落合第20号溝橋(煉瓦、石造アーチ橋)

新内駅構内西端
センター部分は御影石造りのアーチ橋で、両端が煉瓦アーチ橋です。
新内駅を作った時に拡幅したと思われますが、なんせ2004年10月1日に発見したばかりなので 詳しくはわかりません。
アーチ部分は3層になっています。
レンガの寸法220×110×55。
イギリス積み。

  落合第19号溝橋(石造アーチ橋)

ゴルフ場入り口の手前
御影石造りのアーチ橋で、土留めの石組みは谷積みです。
御影石の寸法は600×300×300。径間は1200で下流側の高さは1500、上流側の高さは1100です。
迫石は盾状に加工されています。
笠石も含めてほとんど破損箇所はありません。

  落合第18号溝橋(石造アーチ橋)

ゴルフ場周辺
御影石造りのアーチ橋です。
土留めの石組みもなくなり笠石もありません。
径間は870で下流側の高さは110です。
上流側は土砂に埋まっています。

  大カーブ

国道から見た大カーブ
大築堤(延長480m・法長60m)と長大曲線(延長770m)で通称大カーブと呼ばれる馬蹄形状のカーブです。
大カーブは、線路を曲線で長くして勾配を緩くする手法をとったが、25/1000という急勾配です。
曲線半径も181mの急曲線であり、そのため脱線防止レールも敷設されていました。
列車は、急曲線と急勾配線のため時速40キロの制限があり、慎重な運転を求められる機関士泣かせの難所でした。
保線作業でも除雪はラッセル使用不能で人力手作業しか通用しない苦労の多い曲線でした。

2003年11月に土木学会選奨土木遺産に選定される。
2009年2月に経済産業省より近代化産業遺産として旧狩勝線が認定される。
2010年10月に説明板設置

説明板が設置された大カーブ築堤上

  落合第14号溝橋(石造アーチ橋)

新内隧道周辺
新内隧道の新得側の築堤の下部に作られた御影石造りのアーチ橋です。
画像は下流側ですが、上流側は土砂の流入によって、高さが200ほどしかありません。

  新内隧道

新内隧道
延長約129mの短い隧道ですが,アーチ部が煉瓦積みで側壁が石積みの意匠的に特徴ある隧道です。
特に隧道の入口では両壁には切り欠けが加えられた壁柱が立ち,アーチ部分は切石によって構成され,
アーチ頂部には要石(かなめいし)がはめられています。
大規模な補修がなされていないため当時の意匠が良くわかる貴重な遺産です。
北海道内でこのようにデザインにすぐれた随道の入口は,旧函館本線の神居古澤隧道に見られるくらいで,
この区間が北海道の東西を結ぶ幹線として位置づけられていたことがわかります。
明治36(1903)年7月に着工され翌年8月に竣工したと記録されています。

2003年11月18日に土木学会選奨土木遺産に選ばれています。
2010年10月に入り口手前の土砂を取り払い、柵をトンネル内に入れて景観がよくなりました。

  狩勝隧道

狩勝隧道(新得側)

新内隧道(落合側)

現役時代の狩勝隧道(新得側)
撮影:川本紘義

垂幕操作を行う作業員
撮影:川本紘義
馬蹄形の断面をした煉瓦造による単線隧道です。
明治34(1901)年、海抜644mの狩勝峠直下の狩勝隧道(ずいどう)の工事が着手されました。
工事は、掘削地の岩質が一定せず、また固い岩層に突き当たったり、
予想を超えた湧水にはばまれ1日30cm〜90cmしか掘削できない手作業の
難工事で開通までに3年半を要し、明治38(1905)年1月に完成しました。
その後、大正11(1922)年に36mの延長工事があり954mになりました。

また、随道内は25/1000という急勾配が続くため機関士は排煙と熱気に苦しめられ続けました。
その隧道の環境改善策として昭和23(1948)年11月に遮風用の垂れ幕が新得側出口に設置されました。
操作は上り列車後部が隧道に入りきったと同時に入り口上部に引き上げてある
厚手のシート造りの垂れ幕(ウエイト付き)を瞬時に下げて入り口を塞ぎます。
これにより排煙を列車後部に吸い寄せて運転室に排煙などがまとわりつくのを防止する装置です。
24時間体制で保線係員が操作していました。

2003年11月18日に土木学会選奨土木遺産に選ばれています。
2010年10月に説明板を設置し、入り口手前の土砂を取り払い、柵をトンネル内に入れて景観がよくなりました。

  狩勝信号場跡

信号場本屋跡
狩勝信号場は峠の落合側に設けられた上り方に引き込み線2線と下り方折返し線1線を持つ信号場です。
信号場は単線区間において、列車の行き違いを行う為に設けられた客扱いしない駅です。
周囲には商店、学校等は無く駅員9家族、保線員21家族の30世帯が生活し、列車や鉄路を守っていました。

2009年2月に経済産業省より近代化産業遺産として旧狩勝線が認定されました。
2009年11月に土木学会選奨土木遺産に選定されました。
2010年10月に信号場本屋跡前に説明板を設置しました。

現役時代の狩勝信号場全景

  落合第13号溝橋(煉瓦アーチ橋)

狩勝信号場から本線を20M付近
狩勝信号場から本線の方の軌道を20M程行ったところを流れる小川にかかる煉瓦アーチ橋です。
レンガの寸法220×105×55。
頭には御影石が配置され、手前には石造の橋台があります。

  橋梁(石造アーチ橋)

狩勝信号場からスイッチバックを20M付近
狩勝信号場からスイッチバックの方の軌道を20M程行ったところを流れる小川にかかる石造アーチ橋です。

  橋梁(煉瓦アーチ橋)

狩勝信号場からスイッチバックを500M付近
狩勝信号場からスイッチバックの方の軌道を500M程行ったところを流れる
ベイユルシエベ川の支流にかかる煉瓦アーチ橋です。
川床が下がりレンガが大量に流されています。
アーチ部分は4層になっています。

  落合第12号溝橋(煉瓦アーチ橋)

狩勝信号場から本線500M付近
狩勝信号場からすぐのところを流れるベイユルシエベ川の支流にかかる煉瓦アーチ橋です。
アーチ部分は4層になっています。

  落合第11号溝橋

狩勝信号場から1.5Km付近
ベイユルシエベ川に注ぐ沢水にかかる石造の橋台です。

  落合第4号橋梁の橋脚

第3下鹿渡川橋梁
ベイユルシエベ川にかかっていた鉄橋のレンガ造りの橋脚です。
川幅は5Mぐらい。

  落合第3号橋梁の橋脚

第2下鹿渡川橋梁
ベイユルシエベ川にかかる長い鉄橋の跡です。
橋脚はレンガ造り、橋台はコンクリート製でした。

  落合第2号橋梁の橋台

第1下鹿渡川橋梁
川にかかる鉄橋の跡です。
橋台はコンクリート製でした。

  落合第1号橋梁の橋台跡

落合空知川橋梁
空知川にかかる鉄橋の跡です。
橋台はレンガ造りでした。

  旧狩勝線に向かうレール

落合駅構内
落合駅を出発すると、現狩勝線は右のトンネルを抜けて新得を目指します。
左に分岐して伸びていくのが、旧線のレールです。


*橋梁名は田辺朔朗の設計図中の名称で統一しています。

〈参考文献〉 旧根室本線狩勝峠の交通遺産   今 尚之  北海道教育大学教育学部助教授

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